2016.12.19
中学2年生のとき、NHKでやっていた「ツール・ド・フランス総集編」に心奪われました。ヨーロッパの街並みを自転車で疾走していくシーンに、こんなにかっこいいスポーツがあるのかと衝撃を受け、そこから一気にハマりましたね。
幼稚園から中学までサッカーを続けていたのですが、あまり好きじゃなかったので、サッカー部仲間と自転車を買ってロードレースブームを起こしました。部活の練習がない時間はひたすらレースごっこ。「ツール・ド・住宅地」「住宅地クリテリウム(周回レース)」とか、もうやりたい放題です(笑)。さらには、「パリ・ルーベ」という、石畳の上を泥まみれ、砂まみれになりながら走る過酷なプロレースに憧れ、あえて雨上がりの未舗装路を走って泥を浴びまくる「パリ・ルーベごっこ」なんかもしていました。皆さんがマネしちゃいけないことばかりです(笑)。
プロとは何かも分からないまま「ツール・ド・フランスに出たい」という、説明のつかない強い衝動にかられ、そのために一刻もはやくヨーロッパに行くんだと心に決めていました。フランスに行く前は、国内のクラブチームに所属しており、高校2年生のときに、チームメイトの24歳の先輩が「フランスでレースに出たい」とフランスの自転車連盟に手紙を出したんです。するとフランス・ナントにあるクラブチームを紹介されたので、手紙に書いてある住所を目指して二人で渡仏。メールもない時代ですからいきなり直接訪問です。クラブチームの監督の家のベルを鳴らし「日本から来ました」と挨拶し驚かれました。
高校を中退してフランスに行くと話したら、親は泣き、高校の先生には「1年半(卒業まで)待てないのか」と説得されましたね。今振り返ると、確かに高校卒業すればよかったんですけど、当時は「何を呑気なことを言っているのか」と聞く耳を持たず、本場フランスに飛び込むんだ!そこで結果を残すんだ!としか考えておらず…。突破力と根拠なき自信しかない若造でしたね。
ナントのクラブチームに入れていただき、学生寮の空いた部屋を借りて暮らしていました。渡仏2週間後にはレースに出場し、夢に見ていた自転車生活に心躍る毎日。フランスでは「本番が練習」が基本のやり方なので、シーズン中は週3回のレースに出場しながら、実戦経験を重ねていきました。レースに出るたびに、自分の実力をまざまざと見せつけられる過酷な環境ですが、レースで勝てば賞金がもらえ、生活の足しにもなりました。
1年目には、南仏で行われたジュニアの大きな大会で、登りのタイムトライアルで4位入賞。出場するレースでは毎回トップ争いをしていました。日本から来た高校生だったこともあり、地元ではかなり注目され「このままいけばツール・ド・フランスに出られる」と勘違いすることに…。しかし、18歳になってシニアにあがると、現実は一気に厳しくなります。練習はきつくなり、本場フランスでプロを目指すのが果たして正しい道なのか、迷いが生じるようになりました。労働ビザがおりず、オフシーズンは帰国してバイトでお金を貯め、シーズンになると渡仏するという生活も大変で、3シーズンを過ごしたのち、「一度日本に戻って、トップチームでやり直そう」という結論を出しました。
私は、自転車に関する知識やノウハウをほとんど持たないままフランスに行き、だからこそ見えた世界が自分の糧になりました。ただ、「誰でも若いうちに海外に行くべきだ」とは言い切れません。身の丈にあった場所で、徐々にスキルアップしていくことが大事なので、行くタイミング、行く場所は周りの大人がよく考えて判断するべきでしょう。例えば、登りに強い選手が平地の多いオランダに行っても伸びませんし、体が大きくてスピードがある選手が、山の多いスペインに行ってもすぐにつぶされてしまいます。
どんなにフィジカルが強くても、心の準備が整っておらず、行くのが2年早かったために選手生命が絶たれてしまうというケースもあります。言葉や文化の壁がある中、レースで争い、チームワークを求められ、旅をしながらの生活が続きます。精神的なタフネスはかなり求められるので、想定される負荷を、その選手が乗り越えらえるか、乗り越えられないか。それをきちんと見極める必要がありますね。
国内で自転車はどんどん発展しているので、レースを一つひとつ勝ち抜いていけば、クラブチームから声がかかり、レースに出ながら給料をもらえる“プロ”への道に通じるような仕組みが出来上がっています。目の前のレースに全力で向かい、結果を出すことはもちろん、レース会場でクラブチームの監督に挨拶をして「○○高校の栗村です!このレース見ていてください!」などと自己アピールができるようなマネジメント力も大切です。
必要なのは、優れたフィジカルと回復力、そして強靭なメンタル。ロードレースは、毎日走る「ステージレース」(ツール・ド・フランスは23日間の日程で行われる)で順位やタイムを争うスポーツなので、高い免疫力(回復力)が欠かせません。「雨の中走っても風邪をひかない」「何を食べてもお腹を壊さない」「落車して骨折しても治りが早い」など、生命力の違いが、ステージレースでは「日に日に弱くなる選手」と「日に日に強くなる選手」という、残酷な差を生みます。
その中で戦い続けるのですから、持って生まれた体の強さに加え、相当なバイタリティーが必要です。年間200日はホテル生活になるので家族とは離れ離れ。ケガも多く心が折れることはたくさんあります。英語力も必要になりますし、日本人がプロになるには心身の総合的な準備が必要だと思います。
欧州では、選手が自転車を整備せず、メンテナンスは「メカニック」(自転車整備士)に任せるという考えが一般的です。日本で自転車に乗る方の多くは、一通り整備できますが、プロになるには、トレーニングに時間を割く方が効率的。整備面は、SBAA PLUSの有資格者など、信頼のおけるプロに任せるという考えがもっと浸透してもいいと思っています。
日本ではまだまだ自転車をどう楽しむかというソフト面の情報が足りていません。身近な自転車屋さんやSBAA PLUS有資格者(SBAA PLUS認定店舗)などに乗り方や楽しみ方を教えてもらえる、そんな関係性を築けるといいですね。
ツール・ド・フランスで優勝争いをするようなトップ選手は年収数億円ですが、日本国内ではトップ選手でも同い年のサラリーマンの年収と同額くらいといったイメージだと思います。
私が国内有力チームの契約選手になったとき、年俸は200万円でしたが、「大好きな自転車だけやって200万円ももらえるなんて!」と本当にうれしかったですね。最高級グレードの自転車やウェアがすべて支給され、遠征費もチーム持ち。年俸はそのまま貯金になるので、十分な金額でした。
引退後の道は、他のスポーツ・競技に比べ、現役時代のスキルが活かせる職業もあり、知人の中にも私のように指導者になる方や、自転車ショップ、自転車の輸入商社、メーカーに勤務する方などさまざまいます。皆、過酷な競技生活を経験してきているので、「練習もなく、ケガの心配もなく、お金がもらえるなんて最高」と嬉々と働いています(笑)。
率直にお伝えして、他のスポーツと同じで、プロを目指すのはハイリスクな選択です。でも、挑戦することで見える世界は大きい。目の前のことに一生懸命取り組んできた経験が、人にはない強さをもたらすはずです。私は20代の頃、国内有力チームの契約選手という安定した道を捨て、ヨーロッパのプロチームに入りました。ツール・ド・フランスにはたどり着けないと分かって引退を決意しましたが、あの挑戦があったから、監督や指導者、解説者としての今があるし、これから追いかけたい夢にもつながっている。チャレンジすることは、人を大きく、強くする。それだけは自信を持って言えますね。
稲城から高尾まで 都内サイクリングの定番コース“尾根幹”と+αのルート
2018/10/30
2017/08/29
ヒルクライムで好成績を出すのに、どんなトレーニングをしたらいいですか?
2018/02/23