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Interview インタビュー

プロ選手と公務員の二刀流 小坂光さんが取り組む、仕事とトレーニングを両立したライフスタイルとは

小坂光(こさか・ひかる)

地域密着型のプロロードレースチーム「宇都宮ブリッツェン」に所属しつつ、宇都宮市役所に勤務する“最速”公務員。小学生から父親の影響で競技をはじめ、特にMTBやシクロクロスに慣れ親しんできた。ロードレースとオフロード競技の二刀流で活躍し、2017年にシクロクロス全日本選手権大会男子エリートで優勝を果たした。日々の忙しい勤務をこなすなか、効率のよいトレーニング方法を実施してプロの舞台で走り続けている。

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普段の仕事&練習時間は?

―今の生活スタイルを教えてください。

 平日は基本的に8時半から17時15分まで宇都宮市役所で働いているので、平日の夜と土日に練習をしています。残業の関係で前後することもありますが、平日は1~2時間ぐらい、土日はたっぷり時間をかけて練習しています。

―自転車1本で生活している人と比較するとどれくらいの差があるのでしょうか。

 プロ選手は1日3~4時間、長い時は4~5時間乗るので、半分以下になるかもしれません。僕自身、ロードレースで最終盤まで残って仕事をするとなると厳しいですね。ただ、シクロクロスは競技時間が約1時間で、短時間高強度。シクロクロスに特化した練習をしているので、戦えているのだと思います。

―夜の練習はどんな風にしているのですか?

 明るいライトをつけて外に乗りに行きます。追い込む日は宇都宮の古賀志山に行ってインターバルトレーニングをしていますが、人はほとんどいませんね。ごくたまにトレランや自転車の練習をしている人とすれ違うこともありますが、珍しくてびっくりします(笑)。また、雨の日は危ないので室内ローラーを使っています。

父がきっかけで自転車の世界に

―そもそも自転車に出会ったきっかけを教えてください。

 自転車競技をしていた父の影響で、昔から日常の中に自転車がありました。特にシクロクロスをメインにレースを走っていたので、幼い頃は自転車=シクロクロスだと思っていました。

―小学校のときのお父さんは何歳ぐらいだったのですか?

 僕は父が25歳のときの子どもなので、35歳前後ですね。よく家族で、父が出場するレースの応援に行っていましたよ。また、当時、優勝賞品が豪華で、家で待っている時も「今日はどんな商品をもらってくるかな」と楽しみにしていました(笑)。ちなみに、僕が子どもの頃乗っていた自転車は、父が優勝賞品でもらったマウンテンバイクでした。当時から自慢の父でしたね。

―そこから小坂選手も本格的に自転車を始めたのでしょうか。

 父のレースについていった時、キッズレースに参加することはありましたが、小学生から高校生までサッカーに夢中になっていたこともあり、自転車は父に誘われて遊びで乗る程度でした。本格的にレースを始めたのは高校生の時。シクロクロスの大会に出場したことがきっかけです。実は当時、シクロクロスは今ほど人気がなく、15歳ぐらいからしかレースに出られなかったんです。ちょうど出られる年齢にもなった高校2年生の冬、「お前も出てみるか」と父から声を掛けられました。

―その頃のレース成績はどうだったのでしょうか。

 サッカーをしていたので体力はありましたが、成績は一番下のカテゴリーで入賞するかどうかという感じでしたね。ただ、想像以上にレースが楽しかったんです。「やるからには勝ちたい」という思いが芽生えました。当時、レースのレベルが3段階にカテゴリー分けされていたのですが、高校2年の時点で最上位のカテゴリーに入ることができました。受験を終えて大学に進学したら、本気で自転車競技をしようと決意しました。

本格的に競技をスタート。そして宇都宮ブリッツェンへ

―大学は群馬県にある高崎経済大学に進学されましたね。

 実は第一志望は別の大学だったんです。国公立大学入試の前期試験で受けたものの受からず、後期で受験した高崎経済大学に入学しました。ただ、結果的には良かったと思っています。第一志望の大学は遠方で、進学していたら一人暮らし。一方、高崎経済大学は新幹線通学ではあるものの約1時間で通うことができました。一人暮らしをしていたら身の回りのことをするのに精いっぱいで、トレーニングに集中できていなかったと思います。大学時代は、学校が終わったらすぐに自宅に帰り毎日練習をしていましたし、週末は父としっかり乗り込んでいました。

―プロなることも考えていたのでしょうか。

 全く思っていませんでした。大学時代はスワコレーシングチーム(実業団チーム)に所属し、上から2つ目のカテゴリーでランキング1位になったり、ロードレースで毎回入賞したりしていましたが、プロになれるとは思っていませんでしたね。

―しかしその後、大学に通いながらブリッツェンに所属されます。

 柿沼(章/現・【宇都宮ブリッツェンを運営する】サイクルスポーツマネージメント株式会社代表取締役社長)さんや廣瀬(佳正/現・サイクルスポーツマネージメント株式会社副社長)さんが、スワコレーシングチームの方と知り合いで、(スワコレーシングチームの方が)「うちにいい若者がいるよ」と繋いで下さったんです。

 ブリッツェンは2008年に発足し、翌年からレース活動がスタートしましたが、ちょうど僕は大学3年生。大学に通いながら所属できるのであれば是非と、加入しました。

―大学3年生といえば、卒業後の進路を意識する頃ですよね。

 就職に関しては、3年生になるタイミング、つまりブリッツェン加入初年度から迷っていました。4年生になる頃、就職かプロ1本かを具体的に考えはじめ、父や砂川(幹夫/サイクルスポーツマネージメント株式会社元会長)さんに相談したところ宇都宮市役所の受験を勧めてくれたんです。僕自身も就職するつもりで大学に通っていましたし、自転車1本で生活していくのは大変だろうと想像していました。引退した後の方が長いですからね。本当に悩みましたが就職を選択しました。

―大きな決断ですね。

 余談ですが、宇都宮市役所の面接の前日、広島でU23の全日本選手権に出場していました。その年は調子も良く、プロになりたい気持ちも捨てきれずにいたので「勝ったら宇都宮に帰らずプロになるぞ」と思っていました。しかし、結果は4位。帰って採用試験に臨みました(笑)。

 ちなみに勝ったのは当時、大学1年生だった山本元喜です。

全日本チャンピオンの影の立役者・中田尚志氏との出会い

―その後、2011年に宇都宮市役所に入庁。ブリッツェンの選手として競技も活動も継続していくことになります。当時はどんな目標を立てていたのでしょうか。

 やはりシクロクロスの全日本選手権で勝つことです。

―当時のレースの手ごたえはいかがでしたか。

 就職して1年目は仕事に慣れず、練習時間も確保できない状況。結果も出なかったのですが、2年目からは全日本選手権の表彰台に乗り始めました。ただ、そこから優勝までが遠かったんです。

―初めて全日本で勝ったのは2017年でしたね。

 優勝できたのは、今もコーチングをお願いしている中田尚志さんとの出会いが大きかったですね。中田さんと知り合ったのは、宇都宮で開催された2016年の全日本選手権直前。地元開催ということもあり絶対に勝ちたい思いとプレッシャーで、自転車と向き合うのが辛くなっていた時でもありました。「表彰台には上れるけれど、優勝できない。勝ったことがないからどうしたらいいかわからない」。悶々としていたところ自転車関係の知り合いから「コーチングを受けた方がいいよ」とアドバイスをもらったんです。

―中田さんのことは元々知っていたのでしょうか。

 中田さんはトレーニングの第一人者ともいえる方で知ってはいましたが、知り合いだったわけではなかったので、中田さんのHPの問い合わせフォームから連絡をしました。クライアントを受け付けているかさえもわからない状態でしたが、「是非、一緒にやりましょう」と連絡がきたんです。そこからすべてが変わりました。

―プロのコーチングは違うのですね。

 僕はトレーニングやパワーの解析をするプロではありません。それまでは自分でメニューを考えて練習をしていましたが、その練習が正解かどうなのか確証を持てていませんでした。全日本選手権以外のレースでは勝てていたので、全てが間違いだったとは思いませんが「こんな感じでやれば調子は上がっていくだろう」と手探りの部分もありました。

 しかし、コーチングでは、毎日どのメニューを何分行うなど具体的な指示をもらうことができます。効率的に強くなるために必要なメニューを示してもらえたことで、やることがシンプルになりました。このトレーニングをすれば強くなれると信じてやりきることで、自信にもつながり、メンタルにもいい影響を及ぼしました。

 中田さんのコーチングを受けたのは2015年の9月で2016年の全日本選手権の直前。時間がわずかだったこともあり、宇都宮で開催された全日本選手権で優勝はできませんでしたが、17年の全日本選手権は自信を持ってレースに臨んだ上で優勝できました。

 また、2016年のシーズン終了後、オランダ遠征に行ったこともよかったかもしれません。チーム活動などではなく、知り合いの選手とホームステイをしながら走りました。大きいレースも2~3レース走りましたが、ローカルなレースを走ったことが大きな糧になった気がしています。自分の身の丈に合っていたというか10番前後で常に競り合う選手がいて、最後まで集中してレースをすることができました。

―悲願の全日本チャンピオンはいかがでしたか?

 表彰台に乗り続けてから中々勝てなかったので諦めずにやってきてよかったと思いました。また、父はマウンテンバイクの全日本選手権では優勝していますが、シクロクロスではチャンピオンになれなかったんです。ブリッツェンに本格的なサポートをしてもらう前は、父とレースに行き金銭面でも援助してくれていました。すごく喜んでくれましたし、優勝できてよかったです。恩返しというか、親孝行ができたかなと思っています。

見据える未来

―小坂選手の今後のビジョンを教えてください。

 全日本選手権で2回優勝して、そこから目指す先は世界になりますよね。もう一度挑戦してみたいなという気持ちもあります。もちろんハイレベルで、子どもが生まれて環境も変わり難しい部分もあるかもしれませんが、いつでも挑戦できる立場にいられるよう国内トップクラスの力を維持したいです。

―何歳まで走る、といった目標もあるのでしょうか。

 何歳までとは決めていません。僕の場合、選手1本ではないからこそ引退する必要がないので、走りたい限り走ることができます。勝ちたいという気持ちがあるうちは続けたいですし、まだまだ走りたいですね。