TOPインタビュー渡辺航さん インタビュー

Interview インタビュー

漫画『弱虫ペダル』著者が語る、作品の原点と妥協なきシステム創作術、そして国内ロードレースへの思い

—スポーツ用自転車に乗り始めたきっかけは何ですか?

 最初に乗っていた自転車はマウンテンバイクでした。90年代後半にマウンテンバイクブームがあり、サスペンションがついていてデコボコ道でも突き進めるマウンテンバイクが自転車のなかで一番カッコいいし最強と思っていました。結局、あまり乗らなくなってダメにしてしまったため買い替えを検討することにしました。

 自転車好きの友達に相談したところ、マウンテンバイクよりもロードバイクを薦められました。でも、僕はマウンテンバイクこそが最強と思っていたので(笑)、リアサスペンションがないリジッドタイプのマウンテンバイクに買い替えました。

 それでも、「ロードバイクはやっぱりいいよ!」と友達が熱心に薦めてくるので、だったら買ってみようかなと思い乗り始めることにしました。それが「弱虫ペダル」が始まる1年くらい前の話です。

—初めてロードバイクに乗ったときの感想はどうでしたか?

 実は最悪の印象でした(笑)。安全確認しづらいし、タイヤも細くて振動が凄いし、大してスピードも出ない。首も痛くなるし、手も痛いし、長い距離走るなんて無理だし、「何なんだよ」と最悪の印象でした。この乗り物の意味がわからないと思っていました。

 マウンテンバイクに乗っていたときにも、ロードバイクに乗った人に抜かれることがあったので、「あれくらいのスピードは出るんだろうな」とは予測はつきましたが、ピタピタの服を着てまで走りたいなんて思っていませんでした。最初の頃はトレーニングパンツのようなズボンを履いてロードに乗っていました。だからお尻も痛くなりました。

 けれども、高いお金を出して買ったロードバイクのことがわからないままではイヤなので、毎日15kmくらいは乗るようにしていました。すると1週間ほど経ったある日、急に「これは正しい自転車かもしれない」と感じて、途端に進むようになって、面白くなったのです。

 このとき人間の適応力って本当に凄いんだなと思いました。最初はあんなに嫌だったのに、自分が劇的に変化したことに感動しました。

—その頃からレースにもたくさん出場していたのでしょうか?

 最初は平日に少しだけ乗りながら、日曜日に長く乗ってロングライドをするといったペースです。にもかかわらず、ロードを買って間もない頃に、富士あざみラインのヒルクライムレースに出場しました。最大勾配は20%を超えるような厳しいコースで、友達からも「あざみラインは本当に凄いから」と言われていて、相当な上りなんだろうなと覚悟して行きましたが、想像を遥かに上回るキツさでした(笑)。

 ヒルクライムは途中で足をついたら負けだと思っていて、蛇行してでもどうにか上り切ってやるという気持ちが強かったです。なんとか途中で足をつくことなく上り切ることができました。天気も晴れていて景色も良かったこともあり、とても達成感がありました。そこからさらにロードバイクにハマっていきました。

 それからロードバイクの凄いところは練習が面白いことです。サイクリングロードを走るとき、河川敷の景色を見ても最初は面白くないと思っていました。ですが、ふと「あそこに菜の花が咲いてる!」とか「いまキジが横切った!」とか気づいて、植物の背丈も日々変わっているし、風向きも毎回違うと、新たな発見に出会えることがとても楽しいんです。練習が楽しいなんて本当に革命的だなと思いました。「楽しいうちに筋肉がついちゃうなんて凄い!」と思って乗っていました。

 最初はロードなんて乗りづらくて痛くてダメだという先入観があったけれども、速いし練習が楽しいと考えが全く変わりました。ロードバイクはどんどん価値観を変えていってくれる乗り物なんだと思います。

 ということを当時の編集さんに熱く語っていたら、「それを漫画にしましょう!」という話になり、「弱虫ペダル」が誕生しました。

—「弱虫ペダル」では魅力的で特徴的なキャラクターがたくさん登場します。どうやってキャラクターを生み出しているのでしょうか?

 ネーム(下書きの前段階の、台詞やコマ割りなどを書き入れた設計図)を書くときの緊張感から出てきます。例えば京都伏見高校の御堂筋くんの場合、強敵の箱根学園を一人で倒すほどの力を持っている「完璧サイボーグ人間」として登場させようと思っていました。登場以前からぼんやりとイメージを持っていて、端正な顔立ちでいこうと考えていたのですが、いざ漫画にしようと書き始めてみると、「あ、これは怖くないな」と思ったのです。

 最強王者・箱根学園がどーんと登場している場面だったので、強さだけでなく怖さを持っていないと対抗できないなと感じました。では一番怖い人ってどんな人だろうと考えたときに、何を考えているかわからない人が一番怖いと思いました。そこで、目を丸くして何を考えているのかわからない表情をさせて“箱根学園ブッ潰しまーーす”と言わせてみました。

 このようにぼんやりとイメージや設定を持ちながら、ネームを書く段階で「やっぱりこうかな」「こうした方がいいな」と肉付けしてキャラを生み出しています。

—渡辺先生は漫画の背景までご自身で書いているとのことですが、完璧さを求めるとキリがない作業に思えます。締め切りがあるなかで、作品のクオリティとの折り合いはどうやってつけているのでしょうか?

 その時できる全力でやることです。ただし、無理して徹夜などしないようにシステム化しています。

 締め切りが近いと無理をしがちです。そこで、1つの原稿を3週間かけて仕上げることにしました。3週あれば余裕を持って仕上げることができそうです。もちろん、「弱虫ペダル」は週刊連載なので、1つの原稿を3週間ずつかけて仕上げることはできません。

 そこで3つの原稿を同時に進めるようにして、1つの原稿は3週間先が締め切り、もう1つは1週間前から書き始めていて2週間後が締め切り、もう1つは2週間前から書き始めていて1週間後が締め切り、というように3週分の原稿をずらして並行に作業しています。

 具体的には新しい原稿を書き始めたら、1週間で全体の3分の2くらいまでは書き上げるようにします。そして次の原稿に取りかかり始めて、また1週間で3分の2くらいは書き上げます。その間に、1つ目の原稿をちょこちょこ見返して「ここの背景を修正しよう」とか「もうすこしキャラが走っているところの縦線を増やしてみよう」など、一気に仕上げずに徐々に手を入れていきます。そうして、最後の1週間で残りのページも仕上げて原稿を完成させていきます。

 「弱虫ペダル」の連載当初から、このシステムで原稿を書いています。徹夜をして体調を元に戻すのに数日要することもなく、納期に焦って妥協したクオリティの作品を出してしまい気落ちするようなこともなく、常にメンタルをフラットな状態に保ちながら、「よし、次!」と良い状態で仕事に取り組み続けることができています。

—現在、Jプロツアーに参戦している弱虫ペダルサイクリングチームの監督を務めていらっしゃいますが、監督として選手にはどのような指導を行っていますか?

 弱虫ペダルサイクリングチームは若手主体の育成チームです。選手たちにはいつも「ここは通過点だよ」と言っています。もっと先の未来を見て、自分がどんな選手になりたいのか、どこまで到達したいのかを決めて、逆算して今このチームで何をやらなきゃいけないかを考えて練習して、旅立っていってほしいと言っています。

 また「目標を高く持とう」とも話しています。高い目標がなく漫然と走っているだけでは、決して強くなれません。チームの理念でもある『挑戦者』として高い目標を掲げることが大切です。

 僕は選手ではないので、技術的なことを教えることはできませんが、精神面については自分の経験を伝えられると思っています。あとはレースを走って良い結果を出した選手を褒めるだけです。

—ゆくゆくは別府史之選手や新城幸也選手のようにワールドツアーで戦う選手が出てくるといいですね

 最終的には世界で活躍する選手が生まれたらいいなと思いますが、僕としてはまず国内のロードレースがもっと盛り上がって、国内の選手にもっと注目が集まってほしいです。

 ヨーロッパの選手たちのインタビューやコメントを聞いても、なかなかニュアンスまで理解することは難しく、翻訳された情報に触れることが多いのではないかと思います。

 一方で国内レースを走る選手たちのコメントは、我々の母国語で聞けます。「まあ…まぁ今日は負けましたけど」みたいな、その間が「すごく悔しそう!」って汲み取ることができます。最近はJプロツアーもインターネットのライブ中継で観戦することができます。現地で観戦できなければ、中継で観戦して、気になる選手を見つけて応援していってほしいなと思います。そうして、自分が注目していた選手が優勝したり表彰台に乗ったりすれば、とても嬉しいし楽しくなると思いますよ。