2021.6.29
─自転車との出会いはどのようなものでしたか?
ロードレースなど全く知らなかった高校2年生のとき、テニスで肘を壊したことが競技に出会ったきっかけでした。高校へは福島県で国体が開催されるため、その大会にあわせて、いわば“国体要員”で入学。しかし、テニスを続けることができなくなり、学校にもいづらい立場となってしまいました。
そんな時、実業団レースが地元で開催され、立哨のバイトを募集していたので参加しました。そこで初めてロードレースを間近で見て、女子レースに出場していた堀ひろの選手(ラバネロ)の走りに「超かっこいい!こんなレースがあるんだ!」と感動を覚えました。
たまたま高校に自転車部があったことがラッキーでした。すぐにマネージャーとして入部しましたが、2年生の終わりの頃には選手としてバンクなどで練習を始めました。自分が体験したことのないスピード感がやみつきになり、毎日が楽しかったですね。ゼロからのスタートなので毎日が成長です。「こんなに遠くまで走っていけるんだ」という競うだけではない、自転車ならではの魅力にも取り憑かれました。
その後、大学への進学も考えたのですが、自転車と勉強がどっちつかずになるのも嫌だったので、自転車の道を選びました。高校3年生の時から、チーム「ラバネロ」の高村精一さんがフォームを見てくれたり、自転車を作ってくれたりしており、そのままチームに所属することに。また、実業団の女子レースを走りながらMCの仕事も始めました。ほかのアナウンサーでは難しいかもしれませんが、私はフォームを見れば誰であるかすぐに分かるし、レース展開も把握できました。私自身も競技者でしたので、競技の魅力を誰かに伝えるという仕事は向いていましたね。
─フォトグラファーを目指したきっかけを教えてください
フランスに渡ったのがきっかけです。当時はチームの広報を仕事にしていました。写真を撮り、レポートとともに日本へ送る、いわば配信班です。とてもいいレースを会場やサポートカーという最前列で見ることができる立場です。ここで写真を撮れるのは私しかいないと思い始めました。ならば、しっかり写真の勉強をして、選手が頑張っている姿を伝えていきたいと考えたわけです。でも何から始めれば最善なのか分からず、サイクルフォトグラファーの砂田弓弦さんに弟子入りしました。
最初はイタリアのステージレース「ティレーノ〜アドリアティコ」から修行が始まりました。バイクから写真を撮る砂田さんの代わりに車を運転し、パソコンや大きなレンズなどの機材を運び、場所取りして…本当に弟子の動き方ですね。2年くらい砂田さんと共に各地を巡りました。他にも同じくフォトグラファーの大前仁さんにも多くのことを教えていただきました。みんなが私のことを「プロのフォトグラファーにする」と育ててくれましたね。
転機が訪れたのはチーム ヨーロッパカーの撮影をしていたときでした。パートナーの新城幸也がそのレースで落車し、携帯には「大丈夫ですか?」というメッセージがたくさん日本から届いていました。ちょうど日本でもレースの中継があったため、ご覧になった方が多かったんですね。私自身とても心配しましたが、フィニッシュの写真を撮る大きな仕事がありました。非常に険しい顔をしてゴールを待ち構えていたようなのですが、その様子を見たある人が「なぜあんなに怖い顔して待っているの? あぁ転んでしまった新城の奥さんなのか。(新城の心配をするよりも)現場で仕事を選ぶとは責任感が凄い!」と感銘を受けたそうです。その方が今のボスであり、フォトエージェントを取りまとめるCorVosでした。その場で「(イタリア一周レースの)ジロ・デ・イタリアで僕のチームで働かないか」という提案を受け、彼の元で働くことに。そこからが本当のプロフォトグラファーとしての始まりですね。
新城が2年連続でツールに出場した2010年にフランスに自宅を構えた際、それをきっかけに本格的にフランスに住むことを決めました。言葉では仕事ができないから、フォトグラファーとして活動しようと決意したのです。その時期から新城もグランツールなどで活躍しはじめ、ジロの区間3位などの成績を挙げるようになり、写真を求められることが増えました。彼の活躍と共に私のフォトグラファーとしての道も繋がって歩んできました。写真を撮る仕事に出会えて良かったと今でも実感しています。
─選手の側にいるマネージャーとして、パートナーとして、どのようなことに気を使いますか?
彼らは寝るのも食べるのも休むのも、24時間全てが仕事です。どういったことならサポートできるかと考えて、趣味の料理を勉強することにしました。幸也の場合、子供時代のおやつはサトウキビをそのままかじっていたりが普通で、ポテトチップスは18歳くらいで初めて食べたという野生児のようなエピソードがあるのですが、それを聞いてフィジカルの強さは食から来るものだと改めて思いました。それを壊さないよう、厳しい食事制限のなかで、なるべく楽しく、充実したものを提供できるように料理を振る舞っています。
これは気を使われてしまっているエピソードなのですが、私が幸也を心配していると同時に、彼も私のことを心配しているようです。仕事柄、写真を撮るためにバイクに乗ってレースに帯同しているのですが、「なるべく一緒のレースに参加している時はバイクに乗らないで」と言われます。
彼曰く、「こんな路面が悪い下りをバイクに乗ってて大丈夫かな」と走りながら案ずるようで、明日は道が危ないから先に逃げた方がいいとか情報をたくさんくれます。ありがたいですが申し訳ない。選手なのだから自分の走りに集中して欲しいと思います。私がグローブを忘れると、走りながらグローブを差し出してくれたり…近い位置で仕事ができるのは夫婦の特権ですが、なるべく心配だけはかけないように心がけていますし、彼と同じレースではバイクに乗るのは避けていますね。
─今後のご自身の目標は?
私の写真を見て、サイクルロードレースを知ってくれたり、興味を持ってくれて現地まで観戦に来てくれたり、そうした報告をいただけるとやりがいを感じます。以前は乗る側でしたが、今は魅力を伝えていくのが楽しいです。
まだグランツールでやり切ったと思える仕事はありません。幸也も選手としてそう思っています。私は私なりに満足できる結果が出せれば引退しようと考えており、今回で最後だ、と思っていつも仕事に臨んでいます。しかし、必ず「もっとこうすれば良かった」と思ってしまい、次の現場へと赴いてしまう。もし幸也が選手を辞めたとしても、納得のいく写真が撮れていなければこの仕事を続けていると思います。
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