2023.1.18
1963年生まれ、東京都新宿区出身。92年に全日本F3000選手権でシリーズチャンピオンを獲得し、92〜97年までF1にレギュラー参戦。日本人最多出場を記録する。98年以降もル・マン24時間レース(99年に2位)、パリ・ダカール ラリーなどの国際大会に出場。登山家としての顔も持ち、モンブランやキリマンジャロなど7大陸中6大陸の最高峰を制覇している。2001年にTeam UKYOを設立し、全日本GT選手権に参戦。2012年には自転車チームも発足し、国際レースへの参戦を開始。2019年日本自転車競技連盟理事/全日本実業団自転車競技連盟理事長就任、2020年ジャパンサイクルリーグを設立しチェアマン就任。2022年に日本国籍のチームとしてツール・ド・フランス出場を目指す「JCL TEAM UKYO」発足を発表した。HP:jcleague.jp/
この人の記事一覧へ2021年に自転車ロードレースのプロリーグ「ジャパンサイクルリーグ」(JCL)を立ち上げ、自らチェアマンを務める片山右京さん。「自転車を通じた地方活性化促進」を掲げ、ホームタウンを持つ地域密着型チームや自治体と連携し、自転車をスポーツ文化として根付かせる活動に力を入れています。片山さんがそれらの活動の先に見据えるのは日本チームとしての史上初のツール・ド・フランス出場、そして表彰台です。そのミッションを担うチーム「JCL TEAM UKYO」が、いよいよ2023年のシーズンから活動を開始します。「これは日本人皆の挑戦」─。F1で世界に挑戦するという自らの夢を実現した力で、今度は自転車界に新たなうねりを起こそうとしています。
─そもそもの質問なのですが、元F1ドライバーの右京さんがなぜ自転車の道へ?
父親がロッククライマーだった影響で、幼い頃から冒険家に憧れていたんです。最初に手に入れた冒険の道具が川に捨てられていた自転車で、それを拾ってきて自分で直して、当時住んでいた神奈川県の相模原市から富士五湖まで走ったり、小学校5年生のときにはフェリーで三重県の松坂まで行って東海道を一人で帰ってきたりしていました。自転車は僕の冒険の原点なんです。
─冒険への野心がF1ドライバーの道へ
子供がヒーローものに憧れるように、テレビでF1のレースを見て「F1ドライバーになりたい」と憧れたことが始まりでした。そうはいっても、当時は誰も本気にはしてくれませんでした。中島悟さんもまだ乗っていない時代、F1の存在自体が今ほど知られてはいなかったしね。高校の先生はおろか、周囲から「なんだその暴走族の親玉は!」みたいにいわれてね(笑)。
それでも自分の決意は変わりませんでした。とはいえレーサーになるにはまずお金がかかります。当時で最低2000万円くらい必要だったから、今なら5000万円くらいかな。高校生はローンも組めないので、「ならばサーキットに住んでしまえばいい」と思いつきました。就職すれば働きながら技術も学べる。そんな思いで飛び込み、色々な人に助けてもらいながらF1ドライバーになる夢を達成することができました。
─そこから自転車へはどうつながっていったのですか?
皆さんには元F1ドライバーとして認識されていますが、実は僕の本業は登山家なんです。F1で世界に挑戦できたけれど、「一番になる」という子供の頃からの夢は叶えられなかった。なのでそれを果たそうと、F1を降りたあとに世界の8000m峰の全山登頂を目標に登山を再開しました。そのトレーニングの一環として始めたのがロードバイクでした。
基礎体力があったためか、実業団レースで入賞したり市民レースで優勝したりと良い結果が出せて、徐々にロードレースの世界が開けていきました。それがきっかけで「宇都宮ブリッツェン」のチーム発足時に今中大介さんとともにアドバイザーを依頼され、その後に自分のチーム「Team UKYO」を立ち上げることに。その流れで全日本実業団自転車競技連盟(JBCF)の理事長に、2021年には東京オリンピック・パラリンピックで自転車競技のスポーツマネージャー(競技運営責任者)をやらせてもらいました。
─JCL設立を思い立ったきっかけは?
東京五輪が終わったところでふと思ったんです。他の競技、例えば卓球、水泳、バドミントン、アーチェリー、レスリング、柔道、野球…、全てメダルを獲得しているのに自転車競技(ロード)だけが結果を出せていない。2022年の世界選手権トラックで窪木一茂選手が「スクラッチ」という種目で銀メダルを獲得するなど少しずつメダルに近づいている感はありますが、自転車とF1だけ日本は世界の頂点に立てていないのが現状です。この状況を打破し、競技として強くするには何が必要かを考えたとき、スポーツ文化として自立、つまり産業化する必要があると考えたんです。
日本の自転車選手は実業団のときから「ジャパンプロツアー」と謳っていますが、企業チームに属している選手以外、ちゃんとした報酬を得ているプロレーサーは一人もいないのが現状です。それでは選手が育たないし、次世代も夢を持てない。なので自立をしていくために、ちゃんとしたリターンを出せる新たなレベニューシェア(成果報酬型の契約)を組み立てなければならないと思い、自らチェアマンとしてサッカーの「Jリーグ」をお手本にしたJCLを立ち上げました。
最大の狙いは競技力の向上です。来年のパリ五輪には間に合わないかもしれないけど、2028年のロサンゼルス五輪までには日本人に金メダルを獲得させる。そして日本代表チームでツール・ド・フランスに出場して、選手に「マイヨ・ジョーヌ」(個人総合成績1位の選手に贈られジャージ)を着せることが目標です。
こういうことをいうと「そんなのできるわけがない」という否定的な意見も寄せられます。しかし大谷翔平さんを見てください。「二刀流」でいまの活躍を想像できましたか? 日本人初のノーヒットノーランを達成した野茂英雄さんに対しても当初世間は批判的でしたが、結果はまったく違った。
体格が違うとかDNAが違うとかいうけれど、そんなことは関係ありません。そういうネガティブな思想に負けてしまい、想像する力を失ってしまったり、信じる力の大切さを忘れてしまっているのはとても残念なことです。日本人はよくいえば慎重だけれど、そればかりでは新しいものは何も生まれません。そういう意味で僕はJCLの挑戦を「日本人皆の挑戦」だと言っています。
ただ、自転車が皆さんから必要とされ、役に立つものでなければ、文化として根付かせることはできません。そのためには競技力の向上以外にもやらなければならないことが山ほどあります。Jリーグの生みの親であり、現在JCLの名誉顧問を務めていただいている川渕三郎さんがおっしゃっていた言葉ですが、スポーツを産業化するには文化としての“素地”が必要です。
─自転車活用推進法が成立して以降、国内でも自転車を取り巻く環境が少しずつ変化しています。
おっしゃる通りで、幸い、自転車には時代の追い風も吹いています。脱炭素など環境問題への取り組みが求められ、一方で地域活性化やウェルビーイング(心身と社会的な健康)向上の観点からも自転車に対する期待値は高まっています。世界的な動きを見ても、例えばフランスのパリでは2026年までに「100%自転車で移動できる街」を目指すという目標を掲げています。デンマークやスペイン等、自転車環境の整備は欧州を中心に世界的な潮流となっています。
我々JCLも発足一年目から様々な活動に取り組んでいます。昨年9月には高知県宿毛市で国土交通省、警察、そして地元の皆さんの協力のもと、プロ自転車ロードレースとして日本で初めてコース上の「自動車専用道路」を通行止めにした大会を開催しました。また、11月には「東京2020」のレガシーイベンとして、レインボーブリッジを封鎖するという「GRAND CYCLE TOKYO」(GCT)が開催され、東京オリパラでスポーツマネージャーを務めた流れから、実行委員長として携わらせてもらいました。
当日はJCLの選手たちによるクリテリウムレースも予定していましたが、あいにくの悪天候で残念ながら中止となりました。それでもファンの皆さんが集まってくれて、選手たちからも「デモンストレーションだけでも走りたい」という声が寄せられました。安全を最優先に考えてサイン会のみの開催となりましたが、選手・ファン双方の熱い思いを感じた瞬間でした。2023年もこうした競技やイベントの開催に向けて準備を進めています。自転車をめぐる環境整備や社会貢献、そして政治的なことも全てJCLが変えていくという思いで取り組んでいきます。
─文化を醸成した先に競技力の向上があると。
スポーツで世界を目指すということはそういうことなんだと思います。自転車はサッカー、F1と並んで「世界3大スポーツ」といわれています。「3大イベント」といえば夏の五輪とサッカーW杯、ツール・ド・フランス。世界では自転車は花形のメジャースポーツなのに、なぜ日本だけそこから外れてしまっているのか。花形どころか、危険運転や事故を起こす“悪者”扱いすらされています。
紐解くと1970年代の「モータリゼーション」(自動車が社会と大衆に広く普及し、生活必需品化する現象)で、自転車が車道から歩道に上げられた過去に遡りますが、それから半世紀が経ったというのにいまだに自転車を歩道で走らせている国なんて世界を見渡しても日本だけです。その点でも日本の自転車文化は根本的な部分から変わる必要があります。
皆が安全に、楽しみながら健康になり、社会経済活動も生む。自転車やレースが皆さんから必要とされる存在となり、競技力の向上へとつながっていく。それが歴史を重ね、文化を創り、やがて日本人がツール・ド・フランスでマイヨ・ジョーヌを獲得する日へと続いていくのです。
それは一朝一夕でできることではありません。サッカーもW杯に出場するまでに7年かかり、29年経って、ようやくドイツやスペインの両チームを破るまでに成長しました。ならば自転車だってできないはずがない。そう強く信じて、全力で取り組んでいきます。
なによりも大切なのは皆の思いが一つになることです。僕個人のことはどう思われていても良いから、とにかく自転車に対して情熱のある人たちの思いを一つにしたい。くだらない利権争いで文化をつぶしていては次世代を育てることはできない。そのためにもサイクリスト含め自転車に関係する皆さんには、ぜひ力を貸してほしいし、今シーズンから始動する「JCL TEAM UKYO」の活動を応援していただきたいと思います。
(文・写真:後藤恭子)
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