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Interview インタビュー

道なき道を切り拓くMTBライダー・永田隼也選手 全“山力”を結集して挑む「エンデューロ」の魅力

山に導かれた“自転車野生児”

―マウンテンバイク(MTB)との出会いと、プロになるまでの経緯を教えてください。

 MTBとの出会いは小学4年生のとき。もともと乗り物が大好きで、最初に乗れたのが自転車だったというのもあって、普通の自転車を使って近所の公園で友達とレースのようなことをして遊んでいました。アクションスポーツへの憧れもあったのでその真似事をしていた感じです。

 するとその様子を見ていた人が「MARSH」という近所のバイクショップを紹介してくれて、そこを尋ねていったのがMTBとの出会いでした。当時はMTBに対しても漠然としたイメージしかなく、初めて目にしたときは「こういう自転車がある。かっこいいな~」というのが第一印象でした。

Photo: Hiroyuki NAKAGAWA

─初めて山を走ったときの気持ちは覚えていますか?

 初めて連れて行ってもらったフィールドが富士見パノラマリゾートの「マウンテンバイクパーク」で、「すごい!こんな大きな山で乗れるんだ!」と興奮したことを覚えています。そこで初めて子ども用のMTBを買ってもらった。ただ、初めて走った感想はというと「あれ?乗れない!」って思いましたね。まあ公園レベルでしか遊んだことがなかったんで、当然ですよね。でも逆にそこでハマったというか、たまにうまく乗りこなせるときがあるとそれが嬉しくて、「これ全部乗れたら最高だろうな」と思いながら乗っているうちにのめり込んでいきました。

─小学生で、すでにスポンサーがついたそうですね。

 小学5年のとき初めて大会に出場したのが「KONA」というブランドの草レースで、そこで大人に混ざって走り、上位に食い込むことができました。

─当時、話題になったのでは?

 はい、「なにあの子ども」って(笑)。そこでアキコーポレーションの社長に声をかけられ、初めてレース仕様のMTBを得て、本格的にレースを回り始めました。当時、いまの「Coupe du Japon」というジャパンシリーズのような大会があって、それは中学生でも出場できたので、それをベースに転戦していました。

 その後、史上最年少の15歳で一番上のエリートクラスに昇格し、当時あったホンダのジュニアチームからオファーを得て移籍することになりました。そこからワークス体制でレースに挑むことに。そこで初めてジュニア日本代表として世界選手権に参戦したところ、当時、スペインにあったホンダのチームの監督が来日した際に声をかけてくれて、高校3年生のときにそのチームに移籍しました。

 そこで日本と海外の差を痛感しました。競技レベルも選手を取り巻く環境もこんなにも違うのかと、全てが衝撃的なくらい違った。その後一年ほどでチームがなくなり、その後は国内をベースに活動し、紆余曲折あって現在は「KONA RACING TEAM」で活動しています。

─種目は最初からDHだったのですか?

 ダウンヒル(DH※1)です。キッズの頃は大体クロスカントリー(XC※2)から入りますが、富士見パノラマに行ったときにフルフェイスのヘルメットをかぶって下ってくる大人たちを見て、「かっこいいな!やっぱあれだな!」って思って(笑)。ただ、当時は小学生で参加できるDHの大会がなかったので、レースとしてはXCに出場しつつ、乗り方としては下りを楽しんで乗っていたという時代がありました。

※1:山に造られた急斜面のコースを高速で下り、タイムを競う競技 ※2:周回コースを一定距離走り、ゴール順を競う競技

─DHは初めから怖くなかったのですか?

 小・中学生の頃はむしろ恐怖感はなかったですね。とにかく転んでも「あ~、ダメだったんだ~」という時代で、いつも擦り傷だらけで何度も繰り返し乗っていました。逆に30歳になった今の方が「怖いな」と思う瞬間はあります(笑)。でも自分で感じているよりも、傍から見ている方が怖く見えるんじゃないかな。バイクに搭載したカメラで撮影した動画を見ると、自分が想像していない動きをするから怖く感じると思うんですけど、自分でバイクをコントロールして下ると案外怖くないものなんですよ。

雨のレースは「ラッキー!」

─DHを体験すると病みつきになると聞きますが、その魅力は何だと思いますか?

 非日常の体験だと思います。空気がきれいで景色も良い山の中をあの速度で自在に走れるツールってMTB以外他にないし、爽快感を感じる瞬間って普通に生活していたらなかなか得られない。それを感じられるのがDH含むMTBの魅力なんじゃないかと思います。

 あと、未舗装路だと同じコースでも同じコンディションはほぼありませんし、天候や季節によっても変わります。操作感もわかってくると楽しくなってくるし、うまくなるためのステップがMTBにはたくさんあるので、乗るたびに新たな発見がある。僕もいまだに「ちょっと変えたらこんなに変わった」という発見があるんで、それも一度体験したら病みつきになる理由かと思います。

Photo: Hiroyuki NAKAGAWA

─永田選手が得意とするコースやセクションはあるんですか?

 僕は雨のレースが得意です。雨でグシャグシャに荒れたコースが得意で、大体そういうレースは勝てます。雨が降ると皆同じ場所を走り出すんですけど、それでできた轍を外して攻めるのが得意です。そういうコースが「読める」というか、もともとそういう乗り方が好きだったのかもしれません。速度が落ちることもないので、雨が降るとラッキー!って思います。

─逆に苦手なのは?

 晴れの日ですね(笑)。勢いで攻めなきゃいけないレースが苦手です。吹っ飛ぶのを恐れずに“突っ込んだもの勝ち”みたいなレースよりは、計算して乗るレースの方が好きですね。20代前半の頃は自分も転ぶことを考えずに突っ込んでいましたが、あの勢いってなかなか取り戻せない。おかげで怪我も減りましたけどね(笑)。

 でも、怪我を恐れていても逆に転んだりもするんで、そこのバランスは難しいところです。MTBのレースって勢いやフィジカルが重要という見方がありますが、メンタルスポーツでもある。その証拠に、年齢を重ねても上位に入る選手たちはメンタルの持って行き方が上手いです。DHのレースは時間自体は3分、長くて5分もない程度。普段の練習でどれだけ調子が良くても、その3分に100%のライディングを持ってこられるメンタルがあるかないかが勝負の決め手になります。

“オールマウンテン”の能力が試されるエンデューロ

─最近は軸足をエンデューロ(※3)に置いているそうですね。

 2013年に欧州で発足した「エンデューロワールドシリーズ」(EWS)というシリーズ戦があって、DHとXCの間にいる選手たちの支持を集め、爆発的に流行っています。僕もいまそのレースに挑戦しています。

Photo: SvenMartin

 初開催の翌年、2014年に初めてアジア人として行ってみようと思い、情報がまだ日本に入ってきていない段階で挑戦しました。右も左もわかりませんでしたが、SNS等で情報を見ている限り面白そうだったので、これはとりあえず行ってみるしかないと思って出場したところ、これはすごい競技だなと。そこから一気にハマりました。

※3:コース内にDHステージが複数含まれる長距離の競技。ダウンヒルのみ計時の対象となり、その合計タイムを競う

─なぜいま海外でエンデューロの人気が高まっているのでしょうか?

 ことの発端は、「ゆっくり山を上って下りを楽しむ」というMTBの醍醐味をもっと味わいたいという思いから始まっていると思います。欧州やニュージランドを中心に海外はトレイルがすごく充実していているので、そういったフィールドを生かしたダイナミックな遊び方が考案されたのだと思います。エンデューロは上りの時間は計時の対象にはならず、下りのタイムの合計だけを競います。とてもハードなんですけど、MTBならではの楽しみ方ができる競技です。

─初めてEWSを走ったときの感想は?

 いやもう、きつすぎて(笑)。正直、想像以上でした。レース自体は50~70kmくらいなんですけど、「ステージ1はこっちの山、2はあっちの山」みたいなスケール感(笑)。いまでこそアプリを使ってコースマップをダウンロードできて、GPSで位置情報も確認できるようになりましたが、当時は受付に行ったらコースマップが書かれた紙を渡されて、「あとは勝手に行ってください」という(笑)。「え~~?これどの山かわかんないけど…」っていう感じで始まりました(笑)。

─そんなエンデューロにハマった理由は?

 自分にとってのMTBの魅力がエンデューロに一番詰まっています。自分で山を上って下るという、スキーやスノーボードでいうバックカントリーのような乗り方で、トレイルも作り込まれすぎず、自然の状態が残ったコースレイアウトになっている。また、一日にいくつもステージがあって走れるので、DHレースと違って一発勝負じゃない組み立ても面白い。ステージ1で転んでも途中で巻き返すことができるので、そういうトータルの要因で勝負が決まるのが面白いですね。フィジカル、DHのスキル、レースを組み立てる能力、いわゆる“オールマウンテン”の全要素が求められる競技。とても挑戦し甲斐があります。

 一方でDHはとてもハイレベル化していて、海外のレースはスポットで出場しても走れないくらい難易度の高いコースになっています。明らかに日本との差が開いているのを感じますが、一方でエンデューロは既存のトレイルを使っている部分もあり、挑戦すれば勝負できる状況にいると思います。

─EWSへの挑戦は、日本人だけでなくアジア人としても第一人者だそうですね。

 僕は去年「エンデューロナショナルシリーズ」というレースで好成績を残せたので、そのリザルトを見た大会側が「出てみないか」と声をかけてくれて、今年はアジア枠の「ワイルドカード」でEWS本戦に挑戦しています。ただ、いかんせん個人体制なのがつらいところです(笑)。レースは本番だけでなく、準備を含め、トータルでいかにピークをもっていけるかですから、それを全て一人で臨むというのは正直大変です。

 まあ、でも挑戦できるチャンスをもらえたということは自分にとってとても大きなことなので、今年はできるだけ行こうと思っています。まだ3回ほどしか行けてないですけど、今年ペースをつかんで、来年もっと行ける回数を増やせればと思っています。目標はトップ30以内に入ること。タイムでいうと現状から1分縮まったらそこに入れるところにいるので、ペースが掴めれば超えられない壁ではないと思っています。そして拓いた道の後に続こうとする選手が出てきたら、どんどん連れていきたい。ここで切れ込んでいかないと、日本人のMTB界は海外との溝が埋まらなくなると思っています。

─エンデューロ、大変そうですけど楽しそうなイベントですね。

 日本でもここ数年でエンデューロの人気が高まっていて、EWSをコンパクトにしたような大会が開催されています。エントリー数も200~250人の定員が大体埋まり、参加者も幅広い層が集まります。

─MTBの競技人口は増えて来ているのでしょうか?

 DHやXCなど、ピラミッドの頂点の部分が増えているとは言い難いですが、里山サイクリングから山を楽しんでいる人たちの層は案外大きくなっていて、XC会場でもDH会場でも見ない人たちがエンデューロ会場にいます。エンデューロは競技ですが、トレイルを走りに行ってる感覚でレースができるので気分的にもエントリーしやすいのだと思います。

 MTBの種類も最近はエンデューロが一番人気があります。上りも下りもいけるバイクが世界的に売れていて、日本でもいま、このタイプが一番人気です。それが1台あれば、どこでも楽しめますからね。2年くらい前までは、「これ、いつの時代のMTBですか?」というモデルに乗っている人たちもけっこういたんです。おそらくMTBがブームだった時代に乗っていた人たちが、その自転車を持ってきていたのだと思いますが、最近は、シーズンが始まった途端新車の数の多さにびっくりしました。オールマウンテンやエンデューロに関しては間違いなく人口が増えていると思います。

©KONA

選手活動を続けられるモデルケースに

─MTBプロライダーと企業の社員として2足のわらじを履くことは大変では?

 次のステップを考えたとき、選手だけを続けていくこともありだけど、逆にサポートする立場から選手を見ることができたら、もっと多角的に物事が見えるんじゃないかと思ったのが入社のきっかけでした。サポートされる側であり、する側にもなるという両方の側面から「選手」という存在を見たらどう感じるのか、これはとても興味深いものでした。いまは自分が選手として感じたことを実践するようにしているし、逆にサポートする側としては選手たちに自分が求めているようなものを提供したいと思っています。

© OAKLEY

 MTBの選手として居続けたら、その範囲でしか選手たちに会えませんが、ブランドを通してスノーボードやサーフィンなど他ジャンルの選手たちと関わると、色々なタイプの選手と接することができて、勝負に向けてのメンタルの持っていき方なども勉強になります。それまで自分の中に凝り固まった考え方があったんですが、様々な選手のやり方から「そういうのもありなんだ」と学ぶことがたくさんあって、スポーツにおけるメンタルの重要性を強く感じました。そのおかげか、社員になった2015年に全日本チャンピオンを獲得することができました。

 環境だけでいえばバイクに乗る時間は減っているんですけど、全部プラスに考えれば、競技につながると思っています。色々なことを経験して、吸収する。それがいま、自分が確立したい選手像です。ただ、仕事と並行することで逆に練習の質が上がったようにも思います。選手だけの時代は時間もあったので、天候やその日の体調の良し悪しで練習を明日に回すこともできましたが、いまは「いまやらねば次に乗れるの明後日」という感じなので、絶対練習するようになりました。仕事を始めて5年ほど立ちますが、そういう意味では練習の質は上がったように思います。

 競技も仕事も両方できる環境を作って、このスタイルを下の世代も真似していってくれたらMTBの業界ももっと豊かになる。多くの人が大学卒業や、それくらいの年齢で一度進路を悩むのだと思いますが、選手が自力で食べていくことができて、レースができて海外にも挑戦できるということを示せたなら、もっと下の世代も頑張ろうと思えるんじゃないか。そういう意味で一つのモデルケースとして確立していけたらと思っています。

 それができなければ、いってみれば「自己満足の世界」で終わってしまう。自分の人生だけ考えたらそれでも良いかと思いますけど、せっかく良いスポーツだし、自分もかっこいいと思って始めたスポーツなので、あとに続く世代のためにも続けられる環境を作っていきたいと思っています。

MTBをファッションにしたい

─今後の目標は?

 仕事と競技の両立、そしてEWSでの目標達成ですが、その他にも将来的にやってみたいと思っているのは、MTBをライフスタイルの一つとして取り入れてもらうようにすること。MTBはレースが全てではなくエクササイズにも良いので、気軽に山入ってお茶して帰るという、それをMTBのパッケージとして提案したいと思っています。

 今のMTBのあり方だとアプローチする人が限られていて、そもそもMTBに興味をもたなければ入ってこられません。その入り口をもっと広くしたい。海沿いを走って、山に入るのは10分程度でもいい。体験した人たちがさらに掘り下げて、「今度の休みに富士見パノラマに行ってみようか」となれば成功です。

 MTBの良さって本当に気軽に乗れて、ハイキングじゃ移動できないくらい移動距離も広範に動ける。その1つのツールとして認識してもらえたら嬉しい。DHレースなどトップオブトップの選手のパフォーマンスはショーなので、それはそれで見に来る人たちがもっと増えてくれたら嬉しいし、「Red Bull Holy Ride」のような、一般の人にもレースを見に来てもらえる場所やきっかけも増やしていければと思っています。

 

「Red Bull Holy Ride 2017」~聖なる地で全身全霊を捧げたMTBライダー~